北村英治(きたむらえいじ)クラリネット
1929年4月8日 東京に生まれ、慶応大学在学中に、クラリネットを学び、1951年南部三郎クインテットでプロデビュー、1954年自己のバンドを結成した。
57年文化使節として来日したベニー・グッドマンとジャムセッションを行う。バディー・デフランコや、リー・コニッツも研究する一方、ジャズ伝統のデキシーも自分のものとし、幅広い音楽家に成長した。
演奏会では木管の暖かく深みのある音色と独特のフレーズで聴衆の心を豊かに満たし、曲間のお喋りでも大いに楽しませてくれる。音楽だけでなく料理通として、あるいはニュースキャスターやコメンテーターとしてもテレビ・ラジオで活躍している。
1977年モンタレージャズ祭(米国)に招かれ大好評を博し、1994年まで連続18回と1996年に出演した。モンタレージャズ祭をきっかけにアメリカはもとより、ヨーロッパ、オーストラリア等の大ジャズ祭に数多く出演し、世界的ジャズクラリネット奏者として活躍している。
1991~2000年、L.A.インターナショナル・ジャズパーティをビル・ベリーと共同企画し、このイベントでの演奏は「ジャズクラリネット界の沈滞を救った男(米国評論家レオナード・フェザー)」と評された。
スイングジャーナル誌に於ける楽器別人気投票でのポールウィナーは1960年から2010年同誌が休刊するまで続いた。その間、テディー・ウイルソン、アール・ハインズ、バディー・デフランコ、ビル・ベリー、スコット・ハミルトンとの共演も回を重ねた。
2011年〜2014年、毎年5月に開催されるノリッジジャズパーティー(英国)に連続出演し、英国のジャズ誌「ジャズジャーナル」2014年4月号には「北村英治のジャズ人生」の記事が掲載されると共に表紙写真となり、英国のジャズファンに親しまれている。
レコードアルバムの数はすでに100を超し、代表作としては、テディ ミーツ エイジ(トリオ)ディア フレンズ、スウイング エイジ、ノー カウント(コンコード)ウイ(東芝)アワデライト(GML) エイジ ミーツ スモーキン(CAB)フル・クラリネット、ドリーム ダンシング、ジャズパーティ、スケッチ、デリバリー、セッション、サンタクラリネット、デリシャス、ヴィンテイジ、セッション2、クッキング(Jazz
Cook)等がある。
日本国内ではテレビ、ラジオ出演、各地でのジャズ祭、コンサート、ディナーショウ、ジャズクラブへの出演と共に、中高生、社会人の吹奏楽団やビッグバンドへの指導も手掛けて居る。
有限会社スウイングエイジ 代表取締役
日本クラリネット協会 会友
1978年 南里文雄賞受賞(スイングジャーナル誌)
2007年4月29日 旭日小綬章受章
北村英治(クラリネット奏者)経歴 | ||
1929年(昭和4年)4月8日 | 父、北村政治郎(日本放送局技師長、日本学士院会員)母、北村イチの五男として 東京都(市)渋谷区で生まれる。 |
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(学歴) | ||
1936年(昭和11年) | 渋谷区大向小学校 入学 | |
1942年(昭和17年) | 慶應義塾商工学校 入学 | |
1947年 (昭和22年) | 慶應義塾大学予科 入学 | |
1948年(昭和23年) | 慶應義塾大学文学部 入学 | |
1951年(昭和26年) | 慶應義塾大学 中途退学 | |
慶應義塾大学特選塾員 | ||
(演奏歴・海外演奏活動など) | ||
1948年 | 慶應義塾大学の軽音楽部に所属しクラリネットの演奏活動を始める。 | |
1951年 | 南部三郎クインテットに加わりプロデビューする | |
1954~57年 | 北村英治とキャッツハードのリーダーを務める。 | |
1957年 | 文化使節として来日したベニー・グッドマンとジャムセッションを行う。 | |
1957~60年 | 小野満シックスブラザースのメンバーとして活動する。 | |
1960年 | スイングジャーナル誌の読者人気投票でベストジャズクラリネット奏者に選ばれ、2010年同誌が休刊するまで続いた。 | |
1960年 | 北村英治クインテット・カルテットのリーダーとして活動を始める。 | |
1968~84年 | テレビあさひのモーニングショウに自らのバンドでレギュラー出演する。 | |
1971年 | レコードアルバム「テディ ミーツ エイジ」がスイングジャーナル誌の年間ベストアルバムに選ばれる。 | |
1977年9月 | モンタレージャズフェスティバル(米国)に初出演する。 | |
1978年9月 | モンタレージャズフェスティバル(米国)に出演。 | |
1979年9月 | モンタレージャズフェスティバル(米国)に出演。 | |
1980年8月 | コンコードジャズフェスティバル(米国)に初出演する。 | |
9月 | モンタレージャズフェスティバル(米国)に出演する。 | |
1981年8月 | コンコードジャズフェスティバル(米国)に出演。 | |
9月 | モンタレージャズフェスティバル(米国)に出演。 | |
1982年8月 | コンコードジャズフェスティバル(米国)に出演。 | |
9月 | モンタレージャズフェスティバル(米国)に出演。 | |
1983年8月 | コンコードジャズフェスティバル(米国)に出演。 | |
9月 | モンタレージャズフェスティバル(米国)に出演。 | |
1984年9月 | モンタレージャズフェスティバル(米国)に出演。 | |
1985年9月 | モンタレージャズフェスティバル(米国)に出演。 | |
1986年8月 | マウントフッドジャズフェスティバル(米国)に初出演する。 | |
8月 | シアトル(米国)で「国際クラリネットフェスタ86(国際クラリネット協会の催し)」の最終ステージを バディ デフランコ等と共に務める。 | |
9月 | モンタレージャズフェスティバル(米国)に出演。 | |
1987年9月 | モンタレージャズフェスティバル(米国)に出演。 | |
1988年9月 | モンタレージャズフェスティバル(米国)に出演。 | |
1989年9月 | モンタレージャズフェスティバル(米国)に出演。 | |
1990年9月 | モンタレージャズフェスティバル(米国)に出演。 | |
1991年2月 | ビル ベリーとの共同プロデュースにより「LAインターナショナルジャズパーティー」(米国)を開催する。 | |
8月 | マウントフッドジャズフェスティバル(米国)に自らのクインテットで出演する。 | |
9月 | モンタレージャズフェスティバル(米国)に出演。 | |
9月 | 自らのクインテットを率い、ゲイトウエイセンター(米国カリフォルニア・障害者施設)で 慰問演奏を行う。 | |
1992年1月 | クイーンズランドジャズフェスティバル(豪州)に出演すると共に地元高校生にジャズの 指導を行う。 | |
2月 | ビル ベリーとの共同プロデュースにより「LAインターナショナルジャズパーティー」(米国)を開催する。 | |
9月 | モンタレージャズフェスティバル(米国)に出演。 | |
9月 | 自らのクインテットを率い、ゲイトウエイセンター(米国カリフォルニア・障害者施設)で 慰問演奏を行う。 | |
1993年1月 | クイーンズランドジャズフェスティバル(豪州)に出演後、バディデフランコ等と共にオーストラリア国内演奏ツアーを行う。 | |
2月 | ビル ベリーとの共同プロデュースにより「LAインターナショナルジャズパーティー」(米国)を開催する。 | |
9月 | モンタレージャズフェスティバル(米国)に出演。 | |
9月 | 自らのクインテットを率い、ゲイトウエイセンター(米国カリフォルニア・障害者施設)で慰問演奏を行う。 | |
1994年2月 | ビル ベリーとの共同プロデュースにより「LAインターナショナルジャズパーティー」(米国)を開催する。 | |
9月 | モンタレージャズフェスティバル(米国)に出演 | |
9月 | 自らのクインテットを率い、ゲイトウエイセンター(米国カリフォルニア・障害者施設)で慰問演奏を行う。 | |
9月 | スカンジナビアジャズフェスティバル(スエーデン)に出演後スエーデン国内演奏ツア-iを行う。 | |
10月 | ギネスジャズフェスティバル(アイルランド)に出演後、イギリス国内演奏ツアーを 行う。 | |
1994~2006年 | 昼は○○おもいッきりテレビ(日本テレビ)にゲストコメンテーターとしてレギュラー出演する。 | |
1995年1月 | マウイ デキシーランド ジャズ祭(米国・ハワイ)に出演する。 | |
2月 | ビル ベリーとの共同プロデュースにより「LAインターナショナルジャズパーティー」(米国)を開催する。 | |
6月 | パシフィックジャズサミット(豪州)に出演すると共に地元高校生にジャズの指導を行う。 | |
1996年2月 | ビル ベリーとの共同プロデュースにより「LAインターナショナルジャズパーティー」(米国)を開催する。 | |
7月 | パリ(仏国)で「国際クラリネットフェスタ96」に出演しフィナーレを飾る重責を果たす。 | |
9月 | モンタレージャズフェスティバル(米国)に出演。 | |
1997年2月 | ビル ベリーとの共同プロデュースにより「LAインターナショナルジャズパーティー」(米国)を開催する。 | |
1998年2月 | ビル ベリーとの共同プロデュースにより「LAインターナショナルジャズパーティー」(米国)を開催する。 | |
1999年2月 | ビル ベリーとの共同プロデュースにより「LAインターナショナルジャズパーティー」(米国)を開催する。 | |
2000年2月 | ビル ベリーとの共同プロデュースにより「LAインターナショナルジャズパーティー」(米国)を開催する。 | |
8月 | サンノゼジャズフェスティバル(米国)に初出演する。 | |
2001年8月 | サンノゼジャズフェスティバル(米国)に出演する。 | |
2002年8月 | サンノゼジャズフェスティバル(米国)に出演する。 | |
2003年8月 | サンノゼジャズフェスティバル(米国)に出演する。 | |
2005年7月 | 東京にて「国際クラリネットフェスタ05」に出演すると共に実行委員の顧問を務める。 | |
2007年7月 | エルモウ ジャズ パーティ(ドイツ)に初出演。 | |
2011年5月 | ノリッジジャズパーティー(英国)に初出演。 | |
6月 | ニューカレドニアにて開催された東日本大震災へのチャリティーコンサートにカルテットで出演。 | |
2012年5月 | ノリッジジャズパーティー(英国)に出演。コンコードクラブ(英国サザンプトン)に出演。 | |
6月 | ニューカレドニアにて開催された日本人移民120周年記念コンサートにカルテットで出演 | |
2013年5月 | ノリッジジャズパーティー(英国)に出演。 | |
2014年4月 | ジャズジャーナル誌(英国)に「北村英治のジャズ人生」の記事が掲載され、表紙写真となる。 |
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5月 | ノリッジジャズパーティー(英国)に出演。 |
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